― 痛みをどう捉え直すか ―
5.分類に依存した臨床の現状
― 思考が止まる瞬間 ―
痛みの定義や分類は、
本来、臨床家が評価を進め、仮説を立てるための道具です。
侵害受容性疼痛と判断されれば、
炎症対応や運動療法が選択され、
神経障害性疼痛と判断されれば、
薬物療法を中心とした対応が行われます。
ここまでは、
分類に基づいた臨床として
一定の合理性があります。
問題は、
これらの対応によっても
十分な効果が得られなかった場合です。
その時点で、
評価や仮説を更新することなく、
心理的要因が強いと判断され、
精神科・心療内科へのコンサルトが
半ば自動的に選択される流れが生じることがあります。
この判断自体が
誤りだと言いたいわけではありません。
精神科・心療内科との連携が
必要なケースは、確かに存在します。
しかしそれが、
「侵害受容性でもない」
「神経障害性でもない」
という理由だけで行われるとき、
そこでは痛みを理解しようとする思考が
停止している可能性があります。
侵害受容性でもない。
神経障害性でもない。
だから心理的な問題だろう。
この流れは一見合理的ですが、
実際には
分類で説明できなくなった瞬間に
思考を打ち切ってしまっている状態
とも言えます。
このような状況が生まれやすい背景には、
整形外科領域が抱える
構造的な事情があります。
限られた診療時間、
多数の患者数、
標準化を求められる医療制度、
説明責任やリスク管理。
こうした条件の中では、
再現性が高く、説明しやすい枠組みが
優先されやすくなります。
分類に基づくマニュアル化は、
一定の安全性と効率を担保する一方で、
個々の痛みの文脈に
十分踏み込めない構造も
同時に生み出しています。
6.変調性疼痛が語られにくい理由
― 存在は認識されているが、扱いにくい痛み ―
侵害受容性疼痛や神経障害性疼痛では
説明しきれない痛みが存在することは、
定義上も、臨床上も認識されています。
近年では、
こうした痛みを
神経系の情報処理や調整機構の変化として捉える
変調性疼痛という概念が用いられるようになりました。
しかし、この変調性疼痛は、
臨床や教育の現場で
十分に扱われているとは言えません。
その大きな理由の一つは、
この痛みが シングルケース性を強く持つ 点にあります。
明確な器質的所見がなく、
症状の現れ方や経過が個別性に富み、
同じ診断名であっても
共通の説明モデルを作りにくい。
さらに、
集団を前提とする研究デザインでは、
こうした痛みを
エビデンスとして構築することが難しい
という現実的な問題もあります。
結果として、
変調性疼痛は
存在が否定されているわけではないにもかかわらず、
語りにくく、教えにくく、
臨床で扱いづらい領域として
周縁化されやすい状況にあります。
かつて、
説明できない痛みが
心因性疼痛という言葉で
処理されてきた背景には、
こうした医学的・科学的制約が
深く関係していたと考えられます。
7.痛みをどう捉えるか
ここまで見てきたように、
痛みは定義することができます。
また、分類することも可能です。
それらは、
臨床を進める上で欠かせない道具です。
しかし同時に、
痛みはそれだけでは
割り切れない側面を持っています。
分類は役立ちますが、
万能ではありません。
侵害受容性でもない。
神経障害性でもない。
心理社会的とまとめてしまう前に、
私たちはもう一度、
痛みをどのように評価し、
どのように考えているのかを
問い直す必要があります。
次の記事では、
分類や診断名に依存しすぎることなく、
痛みを どのように評価し、
どのように仮説を立て、
更新していくのか という視点から、
さらに整理していきたいと思います。


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