― なぜ今、痛みを考え直す必要があるのか ―
1.痛みの定義の再確認
痛みは、誰にとっても身近な感覚です。
それにもかかわらず、医療やリハビリの現場では、
痛みについての議論が噛み合わない場面をしばしば経験します。
治療方法の違い以前に、
「痛みとは何か」という前提が
人によって微妙に異なっていることが、
その一因ではないかと感じることがあります。
ここではまず、
痛みの定義について改めて整理してみたいと思います。
すでに知っている方にとっては復習として、
これから学ぶ方にとっては参考資料として、
読み進めてもらえれば幸いです。
2.国際疼痛学会(IASP)の定義とその変遷
現在、国際的に広く用いられている痛みの定義は、
国際疼痛学会(IASP)が示したものです。
2020年に改訂された定義では、
痛みは次のように表現されています。
痛みとは、
実際の、あるいは潜在的な組織損傷に関連する、
またはそれに似た、不快な感覚的および情動的体験である。
この定義の特徴は、
痛みを単なる感覚ではなく、
情動を含む体験として捉えている点にあります。
また、補足説明として、
- 痛みは常に個人的な体験であること
- 組織損傷がなくても痛みは生じうること
- 痛みの訴えは尊重されるべきであること
などが明記されています。
これは、
画像や検査で異常が見つからない痛みや、
従来の枠組みでは説明しきれなかった痛みを、
切り捨てないための重要な改訂でした。
一方で、定義を広くしたことで、
何をどこまで痛みと呼ぶのかが
分かりにくくなった側面もあります。
定義としては正確であっても、
臨床の場でどのように扱うかという点では、
解釈の幅が大きくなったとも言えるでしょう。
3.痛みを分類するという試み
― メカニズムと期間 ―
痛みを理解し、共有するために、
これまでさまざまな分類が用いられてきました。
代表的なものが、
メカニズムによる分類と、
期間による分類です。
メカニズムによる分類
一般的には、
- 侵害受容性疼痛
- 神経障害性疼痛
- 心理社会的疼痛(心因性疼痛)→現在は「痛覚変調性疼痛」
といった分類が用いられます。
組織の損傷や炎症に伴う痛み、
神経そのものの障害による痛みなど、
痛みの発生機序を整理するための枠組みです。
この分類は、
評価や治療方針を考える上で
大きな助けになります。
一方で、
これらの枠組みだけでは説明しきれない痛みが
存在することも、臨床ではよく知られています。
期間による分類
もう一つは、
急性痛と慢性痛という時間軸による分類です。
- 急性痛
- 慢性痛
痛みがどのくらい続いているかという視点は、
リスク管理や対応を考える上で重要です。
ただし、
期間だけで痛みの性質が決まるわけではなく、
慢性化したからといって
必ずしも同じ対応が有効とは限りません。
メカニズム別分類の詳細と対応について
痛みをメカニズムで分類する意義の一つは、
評価と対応の方向性を整理しやすくすることにあります。
ここでは、
侵害受容性疼痛・神経障害性疼痛・心理社会的疼痛
の三つに分けて、
整形外科領域で一般的に用いられている治療や薬物療法を整理します。
侵害受容性疼痛
概要
侵害受容性疼痛は、
組織の損傷や炎症により侵害受容器が刺激されて生じる痛みです。
外傷、炎症、術後、変性疾患などが代表的で、
痛みの部位と組織変化が比較的対応しやすい特徴があります。
整形外科的治療の例
- 安静・活動量調整
- 理学療法(運動療法・徒手療法)
- 物理療法(温熱、寒冷など)
- 装具療法
- 注射療法(局所麻酔、ステロイドなど)
薬物療法の例
- 非ステロイド性抗炎症薬(NSAIDs)
ロキソプロフェン、セレコキシブ など - アセトアミノフェン
効果の位置づけ
炎症や侵害刺激の軽減により、
比較的即時的な鎮痛効果が得られやすい一方で、
組織の治癒や負荷管理が不十分な場合、
痛みが遷延することもあります。
神経障害性疼痛
概要
神経障害性疼痛は、
末梢神経または中枢神経系の損傷や機能障害により生じる痛みです。
しびれ、灼熱感、電撃痛など、
独特の感覚表現を伴うことが多く、
侵害受容性疼痛とは異なる経過をたどることがあります。
整形外科的治療の例
- 原因病変への対応(除圧、手術など)
- 理学療法(運動療法・徒手療法)
- 物理療法
薬物療法の例
- 抗うつ薬
デュロキセチン - 抗てんかん薬
プレガバリン、ガバペンチン - 局所療法
リドカイン貼付剤 など
効果の位置づけ
神経の興奮性を抑制することで
痛みの軽減が期待されますが、
完全な消失が得られないケースも多く、
侵害受容性疼痛とは異なる対応が必要になります。
心理社会的疼痛(心因性疼痛)
概要
明確な組織損傷や神経障害が確認できない、
あるいは説明しきれない痛みの中には、
心理社会的要因が大きく関与していると考えられるものがあります。
ストレス、不安、抑うつ、生活背景、
過去の経験などが、
痛みの知覚や持続に影響を与えるとされています。
整形外科的・包括的対応の例
- 丁寧な評価と説明
- 生活背景への配慮
- 運動療法による安心感の再構築
- 多職種連携
薬物療法の例
- 抗うつ薬
デュロキセチン、アミトリプチリン など - 抗不安薬(必要に応じて)
効果の位置づけ
心理社会的要因に焦点を当てた介入は、
痛みそのものを直接消すというより、
痛みの受け取り方や生活機能の改善を目的とします。
単一の治療で完結することは少なく、
包括的な対応が必要とされます。
分類と治療の関係について
このように、
痛みのメカニズムごとに
一般的に用いられる治療や薬剤には傾向があります。
しかし、実際の臨床では
複数のメカニズムが重なっているケースも多く、
一つの分類に基づいた対応だけで
十分な効果が得られないことも少なくありません。
本記事のまとめとして
痛みは主観的な体験であり、
本質的に数値化や完全な客観視ができるものではありません。
それでも私たちは、
評価し、分類し、言語化し、
痛みを科学として扱おうとし続けてきました。
この姿勢そのものが、
医療の世界を、ひいては「社会や人間」をここまで支えてきたのだと思います。
一方で、
知識や経験が足りないからといって
意見を持たないことも、
得た知識や立場に固執して
疑問を持たなくなることも、
どちらも健全な態度とは言えません。
科学や医療は、
正解を言い切るためのものではなく、
不確実性の中で
その時点で最も妥当だと考えられる選択を
更新し続ける営みだからです。
常に疑問を持ち、
知識と経験をもとに
今の最もベターを選び、
なおベストを模索し続ける姿勢こそが、
医療者であり、科学者である条件だと考えています。
次の記事では、
分類や理論が臨床でどのように使われ、
そしてどこで限界を迎えるのかについて、
もう一段踏み込んで考えていきます。


コメント