臨床家としての喜びは何か。
今でもはっきり言葉にできているわけではありませんが、
振り返ると、その原点になった経験があります。
アキレス腱縫合術後の症例
アキレス腱縫合術後の方を担当したときのことです。
当時は臨床1年目。
マニュアルセラピー研究会も1年目でした。
知識も技術も、
今思えばかなり限定的でした。
足関節背屈制限に対して、
私が知っていたのは
距骨背側へのMobilizationのみ。
それ以外の引き出しは、
ほとんどありませんでした。
改善しても、戻る
距骨背側へのMobilizationを行うと、
その場では可動域が改善します。
しかし、
- 日常生活に戻ると再び制限が出る
- スポーツ動作になると違和感が強い
その繰り返しでした。
評価も介入もしている。
一時的な変化も出ている。
それでも、
スポーツ復帰には至らない。
今思えば、
「なぜ戻るのか」という問いに
正面から向き合えていなかったのかもしれません。
引き出しが増えたとき
その後、
OMT(Orthopedic Manual Therapy)に入会し、
数か月が経った頃のことです。
- 遠位脛腓関節 背側へのMobilization
- 近位脛腓関節 頭側へのMobilization
それまで知らなかった介入を学びました。
半信半疑のまま、
同じ症例に適用しました。
結果として起きた変化
すると、
- どれだけやっても戻っていた足関節背屈が
- 日常生活を送っても
- スポーツ動作を入れても
戻らなくなったのです。
もちろん、
今振り返れば解釈はいくらでも変えられます。
現在の私は、
- 筋膜
- 神経
- 血管
- 運動制御
などを含めて総合的に評価するため、
足関節背屈制限を
「構成運動の制限」だけで終わらせることはありません。
それでも当時の自分にとっては、
世界が一段階広がった瞬間でした。
涙を流して感謝された日
何より忘れられないのは、
患者様が涙を流して感謝してくれたことです。
症状が改善したこと以上に、
- 諦めかけていたスポーツに戻れるかもしれない
- 自分の身体が変わる可能性を感じられた
その時間を共有できたことが、
強く心に残っています。
ここから始まった「勉強という泥沼」
この経験をきっかけに、
私の中で何かが変わりました。
- 学習することの重要性
- 引き出しを増やす意味
- 仮説が変わることで結果が変わる可能性
そして何より、
臨床家として、人のために生きていると実感できた
初めての経験だったように思います。
同時に、
ここから「勉強という泥沼」が始まりました。
学べば学ぶほど、
分からないことが増える。
正解が遠ざかる。
それでも、
やめられなくなりました。
今振り返って思うこと
この経験は、
- 技術が正しかったから
- OMTが優れていたから
そう単純な話ではありません。
当時の私は、
- 限られた引き出しの中で
- それでも何とかしたいと思い
- 学び、試し、また考えた
その過程そのものに
臨床家としての喜びがあったのだと思います。
臨床家としての喜びは、結果だけではない
臨床家としての喜びは、
- 症状を改善すること
- 感謝されること
だけではありません。
- 自分の仮説が崩れること
- 新しい視点を得ること
- 昨日とは違う見方ができたこと
その積み重ねの中に、
静かに存在しているものだと感じています。
この感覚も、
今の私なりの仮説にすぎません。
それでも、
この経験が今の私を
臨床に立たせ続けている。
そう思っています。


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