医療10年と整体3年を振り返って
大切だったのはICFだった
医療機関で約10年、整体師として約3年。
教育・臨床を振り返ったとき、軸として残っていたのはICFという考え方でした。
理学療法士としての臨床は、基本的に次の流れでした。
疾患に対して
① 理学検査・形態測定を行い、機能・形態障害を抽出する
② 評価の過程で統合と解釈を行い、問題点を抽出する(能力低下の分類)
→ 治療プログラムを立案する
理学療法後、再び①〜②を行い、効果判定をする。
これを150日間、繰り返す。
この流れ自体は、今も間違っていないと思っています。
機能障害だけを追い求めていた時代
理学療法士時代も、整体師として独立してからも、
職業や家庭環境、趣味などは一応聴取していました。
しかし実際には、
機能障害をどう改善するか
という一点に思考が集中していました。
痛みをとること
痺れをとること
数値を変えること。
動きを良くすること。
それが満足度に直結すると考えていました。
もちろん、大前提ですが、
どこかで「人」を十分に見られていなかった感覚があります。
その後、ICIDHを基に、
ICFにより近い考え方を意識するようになりました。
ICFは評価ツールではなく
人を見るための思考枠組み
ICFは、チェックリストでも評価用紙でもありません。
本来は
その人が
どんな環境で
どんな背景をもち
どんな制約や可能性の中で生活しているのか
を立体的に捉えるための思考の枠組みです。
評価項目を埋めることが目的になった瞬間、
ICFは意味を失います。
医療現場でICFが形骸化する瞬間
医療現場では、ICFが
項目を埋める作業
書類上の整理
になってしまう瞬間があります。
時間、制度、業務量。
その背景は理解できます。
しかし、
ICFを使っているはずなのに
人が見えなくなる。
そんな矛盾を感じる場面も、少なくありませんでした。
整体に移って感じたICFの変化
青森の整体院に転職してから、
ICFが「生きた」という感覚とは少し違います。
正確には、
知らず知らずのうちに、
お客様が自分の話をしてくれるようになった
という感覚でした。
会話は
痛い
痺れる
〜できない
といった症状から始まります。
しかし、症状や不調が改善してくるにつれて、
仕事の愚痴
家庭の悩み
将来への不安
といった、不調とは直接関係のない話をしてくれる方が増えていきました。
当時の私は、
これは私に聞かせても良い内容なのだろうか
と思っていました。
その時、整体時代の上司に
体が良くなると心も変わる
信頼されている証拠だよ
と教えてもらいました。
その言葉で、
心を開いてもらえることの嬉しさを
改めて実感したのを覚えています。
ここで誤解のないように書いておきたいのは、
医療機関時代に心を見ていなかった
ということではありません。
病院や整形外科時代でも、
患者様から同様の話をしていただくことはありましたし、
同僚や先輩も素晴らしいセラピストでした。
ただ、
私自身の受け取り方が変化した
のだと思っています。
機能障害が改善し、
元に戻った
できることが増えた
という声を喜ぶのと同じように、
心を許してもらえる存在になれた
ということも、
同じくらい喜べるようになった。
それが、整体に移ってからの
私自身の一番大きな変化だったのかもしれません。
技術は大前提
背景・文脈・感情を扱うということ
技術が不要だと言いたいわけではありません。
技術は大前提です。
ただし、
技術だけでは触れられない領域がある。
その人の背景
その人の文脈
その人の感情
寄り添う姿勢がなければ、
本当の意味で人をみることはできないと感じています。
整体師としてのマインド
ICFは人を制限しないために使う
ICFは、人を分類するためのものではありません。
人を制限するためのものでもありません。
その人が
なぜ今、困っているのか
なぜ今、その状態にあるのか
を理解するための道具です。
医療と整体は立場も制度も異なりますが、
人を見るという点では、同じ場所に立てる。
医療10年と整体3年を通して、
私の中でICFは
人を縛る理論ではなく
人を自由に理解するための考え方
として残りました。


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