理学療法士を目指した理由

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中学2年の偶然

私が理学療法士を目指すと決めたのは中学校2年生の夏でした。
おそらく将来の夢・職業が決まったのは早い方だと思います。

高校3年生の姉が大学進学先で悩んでいました。
様々な医療系大学のパンフレットが食卓テーブルの上に置いてあり、
何気なく目を通していた際、「リハビリテーション科」という学科が目に入りました。

小学生からずっとサッカーをしていたことや自分がオスグッド・シュラッター病で悩んでいたことから
「リハビリ」という言葉を認知していたのでしょう。

当時は、膝が痛むので病院に行くけれど
「下手くそだから」
「ストレッチをサボっているから」
医師たちに言われ、

「そこそこ上手だわ!」
「毎日してるけど、ストレッチすると涙が出るほど痛いんだよ!」
と心の中で愚痴ってました。

「膝の痛みをよくする方法が分かるかも」
「面白そうな職業だな」
なーんて軽い気持ちからオープンキャンパスに申し込んでみました。

当時はインターネットはありましたが、家庭に普及していなかったと思います。
電話応募です。

私「中学生でも見学できますか?」
事務方「中学生ですか!?上のものに聞いてみるのでお待ちください」



事務方「上のものから許可が降りました。ぜひお越しください」

そんな流れで専門学校の見学が決まりました。
もちろん家族には秘密です。

ADLよりQOL

専門学校に入り、手続きすると何故か別室に呼ばれます。
待っていたのは学校長・学部長。

何が何だか分からないまま
「何故、中学生なのに申し込んだの?」
「君は素晴らしいよ!!」
「ぜひ、うちに中学してくれ!試験は免除にする!」
今思えば、危ない発言もありましたが、それほど珍しかったのでしょう。

その後、オープンキャンパス前に私の紹介。
ざわざわする教室、とっても恥ずかしかった記憶があります。

学校施設の見学をした後、職業内容の説明に入りました。
ほとんど覚えてはいませんが、
「ADLよりQOL」という内容は今でも覚えています。
脊髄損傷の方のケースでした。

ADL:Activity Daily Living:日常生活動作
QOL:Quality Of Life:生活の質
という意味です。

Rehabilitation:リハビリテーションは全人権的な復権。
出来ない事があるから辛い。辛いことを解消する。だけではなく、
出来ない事があっても、その人(環境)の出来る範囲の中で、その人(環境)の尊厳を守り・高めつつチームで支えていく。
そのようにおっしゃっていました。

その時、私は身体に電撃が走ったかのような衝撃を覚え、
「何て素敵な職業なんだ!私もなりたい!」と思い、そこから目指すようになりました。

高校進学

職業が決まり、高校進学先に悩みます。

偏差値は出来るだけ高い学校が良いと言う姉と塾の講師。
自分の好きな高校に行けば良いと言う教師。
何も言わない親。

何校か見学し、私は2ランクほど下げた高校を選びました。

姉は激怒、最後の最後まで反対します。
塾の先生は驚愕して、説得しようとしていました。
教師は何となく分かっていたようで、「正太郎」に合うんじゃないと。
母は本当にそこで良いの?「正太郎」が決めたなら良いんじゃないと。

当時の私は中学時代に満足にサッカー出来なかった事が心残りでした。
進学高は合格圏内です。
しかし、サッカー部の1年先輩が進学校へ入学した結果、
「勉強が大変すぎてサッカーどころじゃない」と話しており2年生を前にして
サッカー部を退部してしまったのです。

「サッカーも勉強も頑張りたかった」その言葉が頭に残っていました。

今思えば、姉の言うことも塾講師の言うことも分かります。
一般的に言えば、進学先の偏差値が高ければ高いほど、その先の選択肢は広がるでしょう。

しかし、当時の私は不合格の恐れを始めとした漠然とした不安からランクを下げる選択をしました。

進学校は通学に1時間半
1ランクだけ下げなかったのは通学が電車とバスで1時間
私が入学高校は通学が30分でした。

勉強と共にサッカーにも打ち込みたい
全て叶えた上で理学療法士になってやる

不安もありましたが、そのような気持ちも確かにありました。



相変わらず自分語りが好きな私です。
第2章に続く(笑)

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